JAISTに入学してひと月が経ちました
JAISTに入学してようやくひと月が経ちました1。
ひと言でいうとJAISTは最高です。働きながら大学院生になった感想を残しておこうと思います。
JAISTは最高
JAISTは最高です。僕は東京サテライトの学生なので以下特に「石川本校」と断りのない限り東京社会人コースのことだと思ってください。
学生のレベルとモチベーションが高い
社会人コースはその名の通り社会人しかいません。働きながら勉強しようという連中なので当然非常に高いモチベーションです。
グループワークをするとみんなつばを撒き散らしながら白熱の議論をしますし、発表するとなるとマイクを奪い合って登壇します。
また、どういうわけかすでに高い教育を受けて世界を股にかけて活躍している第一線のビジネスパーソンがずらりと揃っています。JAISTは入試の際に「自分の出身大学、指導教官、勤め先などを一切明かしてはならない」というルールがあります。これは面接官にバイアスを与えないためですが、それにも関わらず彼らがきっちり勝ち残って入学しているのはとても不思議に感じます。
とにかく、そのおかげで授業は引き締まって高レベルに展開され、議論は実経験を反映した実りの多いものになり、みな自分の社会人生活を通じて得た知識や学びをシェアするのに惜しみがありません。これは大変な刺激です。
JAISTは甘くない
JAISTは浅野哲夫学長の入学の挨拶の言葉を引用すると「偏差値一辺倒の大学教育から一線を画した多様な人材を受け入れる」大学です。このため、確か数年前から「線形代数」や「英語」の筆記試験を廃止し、いまは小論文と面接一本に絞られました2。これによってこれまでは入学できなかった数学/英語が苦手な生徒も多く入学したことと思います。ただし当然のことですが、入学したからといって修了できるとは限らないのです。
JAISTの授業はレベルが高く、単位の認定は厳しいです。これは複数の教授と元卒業生の同僚の証言から確かなことです。「門戸は開いてやるから実力で這い出てこいよ」ということです。例えば僕が履修している「情報解析学特論」という講義は、初回の授業で「今日はいきなりで心の準備もできてないだろうから、高校・大学の復習のつもりで聞いてくださいね」と始まった内容すら、僕にはついていくのが必死でした。
まーはっきり言って僕には難しかったですね〜。フーリエ変換は近似したいf(t)に対してn個の関数g1(t)...gn(t)の総和の誤差が最小になる係数を求める作業だという概念は分かった。その上で、演習やテストが手計算中心のようで微積をかなりしっかり復習しないと点を取るのは無理だな🥺 pic.twitter.com/oO2ABOTJVR
— 父🌒 (@fushiroyama) November 2, 2019
すげえ身も蓋もないけど、USの会社が「情報系の院を出てること」とか求人に書いてありますけど余裕で意味がありますね。修了してるってことはこの程度の学力を身に着けてることがインタビューする前に保証できるわけで。僕もとにかく頑張ります💪😤🤳
— 父🌒 (@fushiroyama) November 2, 2019
あらためて、高校まででやるような数学はごくごく基本的なパズルのピースであって、大学や大学院の授業ではそれらを使って応用的な内容を学ぶのです。院試でわざわざ問わないから君たちが当然にそれを用意してくるのですよ、さもなくば単位は与えませんよということです。とにかく必死に食らいついていくしかありません。
それから内容以上にキツイのがその過密スケジュールです。JAIST東京では情報科学系の授業は金曜夜と土日にだけ開講されるのですが、これで平日フルに勉強している石川本校と同じ到達点を目指すので、土日100分 * 2コマずつで2ヶ月で期末試験まで完了というような厳しい日程になります。土日連続開講なので予習復習の期間もほとんどなく、試験勉強も充分にできません。履修がたとえ4半期1教科でも平日夜は予習復習で必死です。授業はほとんどその確認ぐらいの余裕がないと到底ついていけません。
正直すでに働きながら2年での修了は現実的ではないので3年計画を立てています。JAISTは長期履修制度を使って2年分の学費で3年通うことができるのでこれもありがたい点ではあります。
コンピュータサイエンスって何なんスかね
僕はアルゴリズムとデータ構造、グラフ理論、計算複雑性理論などに関心が高く、ちょいちょい自習していたので正直に言うと大学院でコンピュータサイエンスを学ぶと言ってもこれまでの復習かそれを補強するものになるだろうと高をくくっていましたが、これは大変に甘い目論見であることを知りました。コンピュータサイエンスの裾野は自分が知っているよりも遥かに広く、そのごく一分野を掘るだけでもやっとだとよくわかりました。
シラバスを眺めるだけでも
- 離散信号処理
- ゲーム情報学
- 機械学習
- 認識処理工学
- ソフトウェア検証
- 統合アーキテクチャ
- 知覚情報処理
- 数理論理学
- 情報解析学
- コンピュータネットワーク
- 情報理論
- 認識処理工学
- 並列処理
- ソフトウェア検証
- 国際標準化
- ダイナミクスモデリング
- IoTシステムアーキテクチャ
- コデザイン
- 集積回路
- プロジェクトマネジメント
と楽しみな授業ばかりです。
いまはBluetoothメッシュネットワーク、非同期分散データベース、信号解析(とくに音声データ)などに関心が高まっているので、この3年で研究につながる授業を幅広く取れたらなぁと思っています。JAISTに在学中の先輩方、これから入学を考えているみなさんとぜひ交流したいです。
JAISTは大学を出てなくても入れるよ
そういえば意外にご存じない方が多かったのでここで触れておくと、JAISTは必ずしも大学の学部を卒業していなくても出願できます。
詳しくは「学生募集要項」を見て欲しいですが、社会人経験や取得資格を「学部卒業相当」と見なし、受験資格を与えるための事前審査があり、概ね5年以上の勤務経験があれば受験できることが多いようです。なんでもチャレンジしてみるものです!応援しています!
おわりに
そういえば「34歳からの数学博士」のさのたけとさんのVoicyに呼んでいただけたので、さのさんと堤修一さんと一緒に大学教育やらについて話しました。
さのさんも堤さんも理系修士で、堤さんは情報系なのですが、修了された立場から必ずしもコンピュータサイエンスが必要かどうか分からないといった生の意見が収録されています。もし良かったらぜひ聴いてみてください!ほいじゃあの!
ゴキブリが出た
乾かして取り込んだばかりの子供のお昼寝タオルを見ていると、もうすぐ小学校に行ってしまう娘のことを考えて胸が詰まった。
毎週毎週洗われて少しずつ色あせ、厚みもだんだん減っていったタオルケット。
保育園のベッドにフィットするようにゴムが縫い付けてあり、長女の卒園と共に退役してももはや普通のタオルには戻れない、まさに長女の幼少期に命を捧げたタオルケット。
乳児クラスのときにだけ使っていたお手拭きが引退し、幼児クラスのお昼寝タオルも現役を退く。それに連れて子供は大きく強く成長し、少しずつだがそれでも確実に親からの自立の道を歩んでいる。子供の親への依存と執着はちょっとずつタオルに吸い込まれ、気付いたら子供らは親のことは忘れて自分の足で歩んでゆくのだろう。
まるでトイストーリーのおもちゃのようではないか。タオルがではない、我々親がだ。 いつしか子供はおもちゃから巣立ち、親もまたその現実を受け入れて子供から巣立たねばならないのだ。
子供との出会いはあまりにも破壊的で不可逆に僕の人生を変えてしまった。もうそれ以前の暮らしがどうだったかすらよく覚えていない程だ。 それほどまでに愛情を注いだ対象がだんだん我々の存在を必要としなくなるという事実を受け入れるのは難しいことだ。しかしそれは正しいことだし、確実に起こることなのだ。かつての自分がそうだったのだから。
子供がもうすぐ小学校行くの信じられんなあ。早い。もうすぐ退役するお昼寝タオルを取り込んでて感慨にふけってしまった。親の手から離れてひとりの人間になってゆく。巣立ちのとき。喜ばしくも寂しい。
— 父☀ (@fushiroyama) October 4, 2019
とか何とか言ってたらゴキブリが出た。終わった、我が心の安寧は子供の自立よりも早く失われた。 このマンスョンを買って5年。初めてゴキカブリにお目にかかった。なに?住んでるの?実は住んでたの?娘と共に成長していたの?
恐怖で背筋が凍るとはこのことだ。私は机の上に飛び乗ってそのまま動けない。本当の恐怖に触れると、人間は声すら出ないのだ。 奴はどこだ。一旦部屋の対角に行った。するとメラメラと闘争心が湧き上がってきた。子供たちを守らなくてはならない(論理の飛躍)
まず奴の退路を断つために逃げられる扉をすべて閉じた。それから然るべき決戦の地、五丈原(風呂場)に誘導するために岸田メルのポーズで新聞紙を掻き鳴らす。 しめた!うまく五丈原に陽動した。そのまま一旦風呂場の扉を閉める。
すぐに我が家の論理ストレージであるところのセブンイレブンで高エネルギーポジトロンライフルキンチョール型を調達して戻る。 敵は渭水を背にして陣取っているが、背を向けた一瞬を捉えて一気に噴射した!ここで引くわけにはいかないのだ。やるかやられるかなのだ…許してくれ張郃…
いずこよりいまし荒ぶる神とは存ぜぬも、かしこみかしこみ申す。この地に塚を築きあなたの御魂をお祭りします。怨みを忘れ静まりたまえ🙏
iOSDCでテストとDevice Farmについて登壇してきました
ご無沙汰しております。大学院入学前の最後の凪を楽しんでおります。
さて、9月5-7日に開催された iOSDC Japan 2019 で運良くプロポーザルが採択されたので 「実機の管理とおさらば!AWS Device FarmでiOSのテストをしよう!」 というトークで登壇させていただきました。
内容は主に次の通りです。
- XCTestを使ったUnit Test
- XCTest UIを使ったUI Test
- AWS Device Farmを使った自動テスト
- Circle CIと組み合わせてパイプラインの構築
自分はモバイル開発者としての経歴が長いものの、iOS開発は素人のようなものです。トークが採択されたときは喜びと同時に不安も大きかったですが、これをより詳しくなるためのよい潮と捉えて楽しんで資料を作り込むことができました。
当日は満員御礼+立ち見まで出るという盛況で、自分としてはかなりのプレッシャーになりました。数あるセッションの中から時間を割いて自分のそれを見に来てくださったわけですから、とにかく楽しんでいただけたことを祈るばかりです。何名かはその後のAsk the Speakerブースに足を運んでくださって色々お話しすることができました。本当によい経験になりました。
内容についてなのですが、UI Testについて1点だけ補足させていただくと、
Accessibility Identifier
で特定できるUIImageView
のUIImage
リソースがボタンタップによって変わることを確かめるUI Testで、Accessibility Label
を付け替えることで擬似的にUI Test側から変更を検知する例を紹介しています。自分としてはこれを推奨する意図というよりは、こういったテクニックもあるという程度だったのですが、やはり本来の「Accessibility」の観点を軽視するような面があったかもしれないなと反省しております。Labelとして、Voice Overされても意味のあるテキストを入れるなどフォローできれば良かったなと反省しました。
他にも質疑応答で鋭いご質問やご指摘をいくつももらいました。これこそが登壇の醍醐味であり、スピーカーもオーディエンスもともに学ぶことができるという最高のチャンスでした。機会を与えていただいたことに感謝します。
さて、iOSDCに限らず、自分にとっては記憶にある限りおそらく初めてのiOS系のカンファレンス参加となりました。率直な感想は「最高」です。 主催の長谷川さんのお人柄がスタッフの皆さんから会場の隅々に至るまで染み出しているような、暖かくフレンドリーで、それでも初めて参加する自分も変な内輪感で戸惑うというようなところの一切ない、本当に素晴らしいカンファレンスでした。また来年も是非何か応募したいですし、仮に採択されなくとも足を運びたくなりました。
また、普段Twitterのアイコンしか知らない人にたくさん会えたのも実に新鮮でした。よく参加しているAndroidの勉強会では逆に知っている人ばかりという環境だったので、これは本当によい気分転換となりました。
それから、僕がブログを読んで絶大な影響を受け、渡米したいと押しかけ相談までした堤修一さんと数年ぶりにお会いしてお話するチャンスを得たこと。また、アカデミックに対する熱い思いにこれまた多大な影響を受け、僕自身が大学院を受験する最大のモチベーションをいただいた佐野岳人さんとも久しぶりにお会いしてお話できたこともiOSDCという場があってこそと深く感謝します。
これからも新しい技術への興味を失わず貪欲に学んでいきたいと思います。ご指導ください!ほいでは。
JAISTの博士前期課程に進学します
TL;DR
2019年10月から北陸先端科学技術大学院大学(Japan Advanced Institute of Science and Technology: JAIST)の先端科学技術専攻、博士前期課程に進学します。フルタイムでの勤務を継続しつつ、修士(情報科学)の学位を目指します。
最大の動機
端的に言うと、この先40年現役でいるための力を養いたいと思ったからです。
以前のエントリに書きましたが、自分は文系学部の学士であり、ソフトウェア技術者として求められる技能はすべて業務内で身につけて来ました。これはそれなりにワークしているのですが、知識はいかにもツギハギであり、時に自分の理解の浅さに恐ろしくなることがあります。
たまに自分の無教養を恐怖に感じることがある。僕の「ある技術が多少わかる」とAさんのそれは、表面上同じでも、僕のそれはただ海面にボートが如く浮いており、氏のそれは氷山のように膨大な数学や物理学の層が重なって水面に出ている。これはまったく意味が違う。
— 父🌥️ (@fushiroyama) 2019年7月2日
この先の10年は、今までにも増して速いペースでイノベーションが勃興しては消えてゆくはずです。その中にあって、すでに人口に膾炙し書籍で解説されるような知識は競争力となりません。論文を調べて新しいアルゴリズムを自分で見つけ出して実装できるような、根源的かつアカデミックな能力を身につけないと早晩限界がくるなと危機感を覚えています。
それに、これからは人生100年・労働80年の時代が来るなと感じます。僕は今年36歳になりますが、仮に38歳で修士、41歳で博士になったとして1、労働80年時代ではまだ折り返しですらありません。ここでの学び直しという投資は十分すぎるリターンとして返ってくると期待しています。
JAISTについて
石川県に本部を置く国立大学です。
一般的な知名度はそれほど高くないかも知れませんが、情報系の人はLinuxディストリビューションのミラーサーバーで ftp.jaist.ac.jp
というドメインに見覚えがあるのではないかと思います。
僕は石川本校ではなく、東京の品川インターシティにあるサテライトキャンパスに通います。
なぜJAISTか
明確な理由がいくつかあります。順に書いていきます。
大学院大学
JAISTは「大学院大学」であり、学部を持ちません。このため大学院には幅広いバックグラウンドの生徒が集まります。これには僕のようないわゆる文系出身者や、社会人を経て再びアカデミックの場に戻ってくる人、外国人留学生などが多数含まれます。
大学説明会で見聞きした限り、これらの状況に対処するために修士1年生には比較的みっちりと基礎の足並みを揃えるための講義が集中しているようです。これは僕にとって望むところです。
また修士研究に重きを置いており、修士論文となる主テーマの研究の他に、主テーマと相互に補い合い相乗効果を得られるような副テーマも必修としています2。これは地に足の着いた研究力を養いたいと考えていた自分の志向と合致するところです。
社会人コース
JAISTは社会人コースを設けており、自分もこの区分です。東京キャンパスは品川駅から徒歩5分ほどの品川インターシティ内にあり、自分が進学する情報科学の場合、授業は金曜夜と土日にのみ開講しています。
これが良いか悪いかは個人によりそうです。平日夜に授業がほぼないということは残業が多めの社会人には助かりそうですが、僕の会社のように柔軟な働き方がゆるされ、かつ休日は家族との時間を大切にしているタイプにはチャレンジとなりえます。
とはいえ、授業のメインが平日昼間ではないという時点でたまらなく魅力的であり、時間をうまくやりくりできればフルタイムの社会人として経済的に安定したバックグラウンドを持ちながら修士・博士を目指せる大学は他にそうたくさんあるものではありません。
また、長期履修制度というものが設けられており、端的にいえば修士は2年分の学費で3年、博士は3年分の学費で4年間在籍することができます3。社会人で学位取得を目指す身としてはありがたい制度です。
その他
他にも、国立大学だから学費が安いとか、教育訓練給付制度対象なので標準年限で修了できる人は更に安く通うことができるとか4、友人のJAIST卒業生が皆一様に優秀であるとか5、色々あってJAISTが第一志望校となりました。合格通知が届いて本当に嬉しいです!!
まとめ
最後に、この決断を後押ししてくれたのは妻です。この先修了までには恐らく幾多の困難があると思います。応援してくれた家族に感謝しながら勉学に励みつつ、妻や子供たちとの時間もうまく確保できるように工夫していきたいと思います。先生方、在学生のみなさん、卒業生の方々、色々ご指導ください。
唐突にYAMAHAルータ愛を吐露する
こんにちは、お父さんです。日本に帰ってきて4月1日からとある多国籍企業で働いております。本当はその辺の話を書きたかったんですが、存外に社外発信について厳しいので面倒くさくなってしまい、職場のことは書かないと決めました。それで、唐突に僕のYAMAHAルータ愛を吐露したいと思います。
僕はYAMAHAのルータが大好きです。僕の技術者としてのキャリアのスタートはネットワークエンジニアでした。当時はまだオンプレの時代だったので、会社の1室にサーバルームがあったり、データセンタの一画にラックサーバを持ってるのが当たり前でした。社員10人以下の典型的SOHO1だったので、YAMAHAのRTX1100を使って小さなネットワークを制御していました。
YAMAHAのRTXシリーズはまさにこのSOHO向けVPNルータとして最強の存在でした。「VPNルータ」と冠していますが、いまやVPN機能を持ったルータは珍しくもなんともないですね。僕がRTXシリーズを好きな理由はたくさんありますが、少し列挙するならば
などがあります。やっぱり、家庭用とは比較にならない安定度ですね〜。ルータ起因でパケット詰まりとかは自分が関わってきた規模では記憶にないです。設定変更のたびに再起動がかかって30秒待つ…みたいなバカバカしいこともありません。即時反映です。ここで比較してるのはあくまで家庭用ですよ。CISCO vs YAMAHAみたいな戦争構図にもっていくつもりはありません😉
これだと単なるカタログのセールススライドみたいなので、もう少し具体的に自分が使ってて便利だった機能を書きましょうか。
マルチホーミング
複数プロバイダを契約して、片方が落ちたときに自動的にもう片方から迂回みたいなことが簡単にできます。 メインで使う高価で信頼性の高いプロバイダ1と、月500円で緊急時のバックアップに使うプロバイダ2を用意して、プロバイダ1のネットワークにkeepaliveしておき3、一定時間/回数応答がないとデフォルトゲートウェイをプロバイダ2のPPインタフェースに向けるというようなことがめっちゃ簡単にできます。
ip route default gateway pp 1 keepalive 1 gateway pp 2 weight 0 ip keepalive 1 icmp-echo 5 3 監視対象IP
ネットボランチDNS
RTXシリーズを使ってるだけで無料で利用できるポーリング不要のダイナミックDNSのようなものです。要は、ルータがインターネット側にもつグローバルIPを foo.bar.netvolante.jp
のように名前解決できるようになります。なんでこれが嬉しいか?
ひとつには、自宅サーバのようなことが固定IPなしで非常に簡単にできます。僕のように2000年代前半に自宅サーバをやってたおじさんとしては、このクラウド全盛期においても自分が持ってるグローバルIPは何か有効活用したいと思っちゃうんですけど、ネットボランチDNSで自宅のネットワークがなかば静的に解決できるとStatic NAT機能を使ってLAN内のRaspberry Piなりを一瞬でサーバとして公開できるんですよ。これはホームゲートウェイとしてsshdの入り口にしたり、httpdに向けて自分のパイロット版ウェブアプリを公開したり色んな使い途があります。
もうひとつ、もし外部にサービスを公開しなくても、VPNの対向側をネットボランチDNSで指定できるという絶大なメリットがあります。 僕は東京の家、四国の実家、そしてアメリカの家すべてにRTX1100を置いて拠点間VPNを構築していました。それぞれは固定IPなど持たない普通の家庭用プロバイダなんだけど、ネットボランチDNSでホスト名を指定できるのでPPPoEセッションが切断・再接続されても気にする必要がありません。僕はこれを利用して、アメリカの家では特定のLANポートに接続すると自動的にトンネル越しに日本側インターネットに出るようにしていました4。
中古価格が安い
上の方で「実売価格10万円以下」と書きましたけど、これは最新モデルの新品価格であって、僕をプロにしてくれたRTX1100は中古で3000円ぐらいで買うことができます。RTX1100はLAN側インタフェースすら100Mbpsという旧時代感がありますが、その後継モデルでギガビットイーサ対応のRTX1200も中古で1万円ちょっと。ホームネットワークを構築するには余りあるポテンシャルです。
いまはEdgeRouter Xのように廉価で非常に高機能なルータが出てきたので昔よりも色んな選択肢があるかと思うんですが、急に思い出したのでズアーッと書いてみました。ほいでわ👋
父、帰国
家族みんなで日本に帰って来ました。3月末付で現職の米国ラボから離れ、誠に勝手ながらそのまま退職する道を選びました。
改めて経緯を整理すると、最大の理由は家族(特に長女)の環境に対する拒絶感が想像より大きく、親として完全にサポートしてやることができませんでした。様々な不運が重なり、娘としては最悪の米国体験となってしまいました。これはたったひとつのサンプルであり、これをもって米国の何たるかを語るつもりはサラサラありません。他の皆さんの米国進出の妨げとならないことを願いつつ、こういうこともあるのだという体験のシェアはしておこうかなと思います。
我々はBurlingameというサンフランシスコ半島の中ほどにある美しい街に住みました。ここはこの辺りではかなり珍しく、白人比率が高くアジア人が少ない特異な街でした。娘のクラスも、アジア系は娘ともうひとりだけ1でした。人種としてマイノリティというのみならず、言葉が満足ではない子供が娘だけという環境下で彼女の絶望と苦労は想像を絶するものがあったと思います。申し訳ないことです。また、先生も本人のコメントによると教師になって2年目ということで、どう好意的にみようとしてもトラブル因子である娘をかなり邪険に扱っていました。これは最後までとても悔しかったです。
先生同士の引き継ぎが不十分で娘がひとりだけお弁当を食べられなかったり、他の子のイタズラのぬれぎぬを着せられたり、クラス内のパーティで娘にだけおやつが配られなかったりと、信じられないような扱いを受けました。怒り、悲しみ、混乱しました。親としてもツライですが、生まれて初めてこんなアンフェアな扱いを受けた娘を思うと夜も眠れなかったです。よく娘と抱き合って泣きながらベッドに入りました。校長も交えて話し合いも試みたのですが、結局のところ校長先生は「担任を信じたい」という立ち位置で、担任は「誤解や勘違い」というスタンスを崩さず、あまつさえ「証拠がない」とまで言い放つ始末で大きく失望しました。
単身赴任ではなく家族みんなで帰国という選択はこれまた極端にすぎると思われる向きもあるかもしれませんが、我が家ではこの点は一貫しています。つまり、パパと離れては暮らせないという長女の意見を常に尊重しました。
結局の所、米国に来たのも「パパと離れ離れになるぐらいなら嫌だけど米国に来る」というものでしたし、日本に帰るにあたっても「パパと離れて私だけは帰らない」という意見でした。このまま居たら娘の精神はどうにかなってしまいそうでしたし、こう言ってはなんですが、女の子が「パパと居たい」と言ってくれるのなんて、せいぜいあと5年でしょう。それならばパパも日本に帰るよということに決めました。
子どもたちは日本で心安く過ごしています。3月も終わり、妻も子どももそして僕も新しい生活が始まります。これからもどうかご指導ください。それでは近い内にまたどこかで。じゃあの。
高い高いの高さ
長女は5歳だが、いまでも「高い高いして〜🤭」とよく言ってくる。もう115cm/20kgぐらいあるので、かなり重たい。先日も高い高いをせがまれたが、ちょうど長女が次女の座るバンボを独り占めしていたので「次女ぴちにも座らせてあげないとパパは高い高いしてあげないよ〜」と次女だけを高い高いして遊んだ。
その時はどうということはなかったが、1時間ぐらいして急にソファーに寝転がってブランケットをかぶったまま出てこなくなってしまった。理由を訊いても「答えたくない…😢」と泣きながらうずくまっている。しばらく時間が空いていたので高い高いとの相関に確証がなく、「パパが何か間違ったことをしたかもしれない。次またしないようにちゃんと理由を知りたいから教えて欲しい」と辛抱強く交渉したが、「わたしが悪いからもういいの…😭」と強情だ。
「お父さんとお母さんもよく勘違いして喧嘩をする。どうでもいい人はそれっきりだけど、お母さんは大切な人だから腹が立ってもちゃんと話し合って解決するんだよ。パパは長女ちゃんとこの先も仲良しでいたいからどうしても理由が知りたい」とお願いしたら、ようやく「わたしも高い高いして欲しかった…😭でも次女ちゃんのおもちゃを取ってたからそれでも仕方ないと思って泣くしかなかった…」と明かしてくれた。
なんといじらしいことか…考えてみると、あと3年もしたらこっちからお願いしたって高い高いなんてさせてもらえないのだ。いまこの瞬間お父さんが必要とされる限り、無条件で受け入れてやればよいのかもしれない。それから、この子なりに「高い高いしてくれなくて悲しかったけど、わたしも悪いことをした」と反省しつつやりきれない気持ちをどうにもできなくて泣いているのが愛らしかった。この子はこういうところがある。幼いのに、自分の気持ちだけに100%純粋に欲望を求めることができない。相手を慮ってしまう。それができれば米国での暮らしもどれだけ楽だったろうと思わんでもない。でもそれでよいのだ。これはこの子の美徳であり長所だ。このまま伸ばしてあげたい。
長女が1歳になって初めて保育園に連れて行くときのことをよく覚えている。向こうから同じように娘を抱っこしたお父さんが歩いてきた。僕は60cmの女の子、向こうは120cmぐらいある女の子をそれぞれ大事そうに抱えていた。随分大きくなってもお父さんにしがみつくんだな〜😅と思ったものだが、ついにうちの娘がそうなり、それでもあの頃と変わらず美しい。これから大きくなるに従って、君から見える高さはお父さんに近づき、世界は相対的に小さく普通に見えていくだろう。それでも君がお父さんに近づきたいうちはいつでも肩の上に乗りに来て欲しい。