「ブロリーです…」

若者がドラゴンボールを読んでみたら大しておもんなかった的な記事が非常に話題であります。これに関しては「せやねん」と「せやかて工藤」の両方の感情がございます。

一番申し上げたいことを最初に書くと、結局のところ、不可逆なほどこの世に絶大なるインパクトを与えてしまった作品の凄さというのはその前後を目撃した者にしかなかなか伝わらないものなのであります。

件のエントリの「どこかで見たことのある絵」「よくあるストーリー」という評がいみじくもドラゴンボールの凄さそれ自体を表しているのです。ドラゴンボールが現在に脈々とつづくこの絵柄やストーリーを作ったのです。だから時をさかのぼって現在の作品とドラゴンボールを比べるのは、モーツァルトを聴いて「ありきたりな曲調」という感想を述べるのと同じくらい無意味なことです。浦沢直樹が「浦沢直樹の漫勉」で「大友克洋の衝撃は結局いまのひとが大友克洋の漫画を読んだってわからないんですよ。いまは大友克洋『以後』の世界なんだから」というようなことを言ってましたがまったく同じことです。

 

ちょっと話は逸れるんですが僕は同じような切なさともどかしさをダウンタウンに感じています。よく若い人が「ダウンタウンなにがおもろいねん」「普通やん」と腐すのを聞いて胸を傷めています。たしかに彼らは歳をとって昔ほどのキレはなくなったかもしれないけど、ダウンタウンの登場は我々の世代にとってドラゴンボールに匹敵する衝撃だった。

バナナの皮に滑って転んでみんなが笑うドリフ的お笑い観を、ゆるいスピードと低いテンション、斜に構えたニヒルでシュールな2000年代のお笑いに変えた。現代お笑いの基礎を作った偉大なコンビなんです。いわば示準化石なんですよ。それ以前と以降で時代がまったく違うんです。いまの普通を彼らが作ったんです。いまだにごっつええ感じのDVDを観ることがあります。いまの人が見ても面白いと思うけど、やっぱりどうしても「この10年前を知ってる人」がこれを見る衝撃とは違うと思うな。

 

いま求職中でして、よくコーディングクイズを解いています。コンピュータ・サイエンスの世界には「動的計画法」というアルゴリズムがあります。これは、普通に取り組むと解けないような膨大な組み合わせから最適解を得るようなときに効力を発揮するアルゴリズムなんですが、この基本的な考え方は「以前のループの結果を保存しておいて、いまの方が結果が良ければ置き換える」というものです。

漫画も、お笑いも、コンピュータ・サイエンスも過去の偉大な資産があって現在があります。現在は過去の延長線上にしかなく、いまの我々が過去より少し良いものを簡単に手にできるからと言って、それによって過去の栄光にいささかのケチがつくものではありません。先人の達成には常に敬意を払いたいものであります。

 

ちなみに僕がドラゴンボールで一番好きなシーンはタオパイパイが自分の投げた石柱に乗って移動するシーンですね。物理学的には、投じた石柱に飛び乗る跳躍力があれば目的地までそのままジャンプできることになるそうです。

それじゃあ来週もまた見てくれよなっ。