アメリカ就職に失敗したはなし

前口上

アメリカで就職できなかった。華々しい成功譚は見かけるが、夢と散った話はあまり表に出てこない。

なんというか「三振したバッターが相手ピッチャーのことを語る」みたいでまるっきり時間の無駄かもしれないが、もしかしたら参考になる人もいるかも知れないし、実際に就職した人に「お前のアプローチはまったく的外れだ」と言われるかも知れない。僕も何が悪かったのか教えてもらいたい気持ちもあるし、迷ったがこのエントリを公開する。

ちなみにめっっっっちゃ長いので、要点だけ知りたい人は、アメリカで就職するにはとにかく

 

就労ビザ>技術力>学歴>>>>>>>>>>>>(越えられない壁)>英語力

 

だというのだけお伝えできればと思う。

アメリカで働くために英語を頑張るぐらいなら、それより大学(院)に入り直してコンピュータサイエンスの学位をとり*1、同時に技術力を磨くほうがよほど近道だと感じた。

 

それから、現職の同僚はこのエントリをみて微妙な気持ちになると思うので、その点について最後に「現職について」で補足する。

 

秋風五丈原

じいちゃんが死んだ。大正・昭和・平成の3つの時代を生き、たくさんのひ孫に囲まれて90年超の幸せな人生を脱稿した。しかしそれでもなおこのことは僕にはショックだった。「あー人生ってマジで1回なんだ。知ってたけど知らなかったわー」という感じ。

漠然とした概念としての死が、自分の人生が必ず最後に到達する終着駅だとやっと実感をもって気付いた。

 

ここで僕は、やりたいことはとにかく何でも試してやりきってから死のうと決めた。そのとき思いついたのが「アメリカでソフトウェア技術者として通用するか試したい」ということだった。僕にはそれに至るちゃんとしたロジックとかはなくて、とにかく自分の目で見て自分の足でアメリカの大地を踏みしめ、自分の鼻でSFの雑踏のマリファナまみれの風を吸い込み、自分の手でソフトウェア技術者としての痕跡を残したかった。

 

ちょうどその頃堤修一さんのフリーランスを休業して就職しますというエントリを発見したり、身近な何人かのプログラマが渡米したりして僕もあのようになりたいとトランペット少年のように思った。早速Creators Learning English Meetupというイベントに帰国中の堤さんが登壇されるということで、突撃して彼を捕まえて質問攻めにした。

それから具体的な就職活動について考えた。

 

就職活動

どうしていいかさっぱりわからなかった。どこに応募したらいいのか分からない。

とりあえずこの時はアホだったので、さる世界的な多国籍企業東京支社にソフトウェア技術者として応募した。なんか、そのうち転籍でもできるんじゃとか思ったのである。いま振り返ると筋が悪すぎる。

ちなみに割と早い段階で早々に落とされた。ただこの経験はしておいてよかったなと後に思う。ここの面接でアメリカ企業というのは基本的にコンピュータサイエンスの基礎力を応募者に強く求めるということがわかったからだ。

 

それからもしばらくは具体的なアクションが起こせず、うーんどうしたらいいんだ?とかつまらないことを考えていたんだけど、事件が起きる。ある日LinkedInに海外企業のリクルーターから「当社のSenior Android Engineer職に興味はないか?」と直接コンタクトが来たのである。

 

この会社は事前に課題として、実際にその会社のフラッグシップアプリで問題が起こりやすい部分をスマートに解決するための簡易な実装を提出するように求めてきた。僕は自分が優秀であるとアピールするために、組み込みライブラリを組み合わせればまあサラッとできそうなものをわざわざ自前でドバーッと書いて提出したところ、採用担当者はこれを痛く気に入ってめでたく本面接に進むことができた。

 

面接はすべてSkypeGoogle Hangoutsを使ってリモートから英語でなされた。この時も英語なんてカタコトかつ単語の羅列で何の問題もなくて、とにかくコーディングにつぐコーディングだった。ある人は整列や探索の簡単なアルゴリズム*2の実装を求めてきたし、HashMapがどう実装されているかかなり踏み込んだ説明*3を求めてきたりしたし、あるいはわざと罠を仕込まれた作りかけのAndroidアプリを共有されて、画面共有ツールで僕がどうやって正しい実装にたどり着くか監視されたりした。

 

この会社は2人ぐらい突破したんだけど、その後急にリクルーターが代わって

「ところでビザのステータスは?」

「え?ステータスとは?君たちがサポートしてくれると思ってた」

「うーん残念だけどいまはUSの就労ビザはサポートできないんだ」

と言われてなんとそこですべてのプロセスが終わってしまった。

 

このときもしかしてビザとはとんでもなく重要な要素なのでは…?と初めて気付いた。

 

ビザ

それからアメリカの就労ビザについて色々調べた。僕がお世話になる可能性のあるビザは次の3つ*4だ。

  • H1B(専門職ビザ)
  • L1(駐在員ビザ)
  • E2(投資家、またはそれを補佐する専門職ビザ)

H1B

専門職ビザの花形である。米国の企業が発行する。

米国はITの聖地であり、技術者は全然足りていないんだそうで「その足らない技術者を海外の人材で賄うため」というお題目でGoogleとかMicrosoftみたいな世界に冠たるIT企業はH1Bをバンバンサポートしてくれるらしい。

就労する業務に深く関連のある学士以上の学位を持っている必要がある。望むらくは修士以上。博士は優遇される。

L1

日本企業の社員が駐在員として米国支社に転籍するような場合に発行してもらえるビザ。その会社に1年以上在籍している必要がある。

日系企業がアメリカ支社に社員を送り込む際の最も一般的な方法のひとつ。

E2

日本の起業家が自分自身に投資してアメリカで起業したり、それを補佐する専門職者に対して発行される可能性があるビザ。L1と違って最低在籍期間のようなものがなく、すぐに発行することが可能。

 

他にもトレーニングビザというものがあるらしいが、詳しいことは僕は知らない。

また、Diversity Programといって、アメリカが移民の多様性を推進するために移民の申請が少ない国の人を対象に申込者の中から純粋なるくじ引きを行って当選者には永住権の申請権を与えるという面白いプログラムがある。こちらはまさに運任せなのと当選率が低い*5ので参考程度に。

 

転機、そして内定

さて、その頃たまたまGoogle I/OでSFに行ったときにDeploy NIKUというイベントでお会いしたDrivemodeのCEOの古賀洋吉さんにどうやったらアメリカでソフトウェア技術者として採用されて就労ビザを発行してもらえるか相談したら、

「片っ端から応募しまくりました?してない?どうして?LinkedInとかで募集している会社に『初年度は給料はこのぐらいで我慢してやるから就労ビザだしてくれ』って100社ぐらいにメール送ったら5社ぐらい返事くれるんじゃないですか?」

と言われた。なるほど、ぼくは全然行動力が足りていなかったのだ。

 

それからちょっと気が楽になって、少しずつ友人のツテとかを頼ってアメリカの会社に応募するようになった。具体的には

  • 僕がアメリカで働くことに興味があること
  • 出向ではなくアメリカ企業からの直接雇用を望んでいること
  • そのためにたとえば即時解雇のリスクがあることや試験内容が現地基準で難しくなっても問題ないこと
  • その代わり待遇は現地基準にして欲しいこと

を伝えた。

 

また、同時にLinkedInのプロフィールを英語で充実させて、自分が経験豊富なプログラマであり転職の意志があることを明示した。具体的には

  • 自分が経験のある言語、フレームワークを年数込みで列挙
  • 転職に興味があること
  • これらを英語で詳述

した。これはもっとも効果のある施策だった。

LinkedInは転職斡旋リクルーターからのコンタクトばかりくるが、1割ぐらい企業のHRが直に連絡を取ってくれる。リクルーターが「弊社に興味がないか?」と聞いてくるのは「試験を受けないか?」と言ってるだけなのでそれ自体に特に意味はないのだが、僕のように関連学位をもたない人間は書類審査でバンバン落とされるので、少なくとも相手企業のHRが連絡を取ってくれた場合は電話面接を受けることができる。そうすれば実力次第で次のステップにすすむ希望が生まれる。

 

実際に数ヶ月でヨーロッパのスタートアップから数社、アメリカのスタートアップから数社、国際的な多国籍企業からもいくつかInterviewのお誘いを受けた。ひとまずは友人のツテとこの中から興味のある3社ぐらいに絞って面接を受けた。

面接は相変わらずコンピュータサイエンスの基礎知識とアルゴリズムクイズが中心で、対策のしがいがあった。少なくとも、

のような準備が有効だった。

 

そしてついに、行きたい会社から内定がもらえた。オファーレターを見てその金額や福利厚生に興奮したし、「いかなるときも当社都合で解雇できるものとする」というような内容に戦慄したりした。

 

挫折

内定はゴールではなかった。ビザがおりないのである。

ビザの手続きは先方の弁護士に任せていたのだが、H1Bが簡単にいかなそうで他に色々利用できる可能性はないか探っているようだった。これはたぶん本当で、向こうも採用という莫大なコストをかけて内定を出した候補者はどうにかして入社までこぎつかせたいようだった。

 

これは推測にしかすぎないが、自分の学位が足を引っ張ったのではないかと想像する。僕はコンピュータサイエンスの学位を持っていない。数学や物理学といった関連学位も持っていない。

アメリカは日本以上の学歴社会である。学歴がひとつの「免許」として機能している。「おれ無免許だけど車の運転うまいっす」とかいう奴を誰も相手にしないのと同じだ。これはとても健全なことだ。大学というのがきちんと社会の求める役割を果たしているのだ。H1Bが業務に関連する学位を必須条件として定めていることは非常に合理的だが僕にとっては悪いニュースだ。

もしかしたらトランプ政権もタイミングが悪かったのかもしれない。トランプ政権下では移民ビザをとにかく制限する方向に動いている。H1Bもアメリカ人の雇用を守るためにかなり厳しくなるという話だ。

 

先方の人事とやりとりしつつ半年待ったが「率直に言って、来年4月のビザは絶望的だ」という話を受けて、こちらから正式にお断りの連絡を入れた。こちらは4歳と0歳の子供がおり、僕の身の振り如何で保育園も妻の復職もすべてが左右される。いつまでも宙ぶらりんで居るわけにはいかなかった。無念だ。人生はままならぬ。

 

こうして僕のアメリカ就職は一旦頓挫することになった。

 

振り返り

とにかく就労ビザがどれだけ大切か思い知らされた。どれだけ面接でうまくやってもビザがなくては何も始まらないということがよくわかった。

学歴もかなり大切で、僕が安易に「自分が行けそうなところで偏差値が高い大学をなんとなく選ぶ。学部はどこでもいい」というようないい加減な高校生活を送ってしまったことを非常に強く後悔した。

突出した技術力や実績があればこれらは挽回のチャンスがあるが、僕のような凡人が凡人なりに就職するには大学の勉強とそこから必然的に導かれる就職先というストーリーは非常に大切だった。

 

家族のこともありしばらくはこういったアクションは起こさないが、もうあと5歳でも若ければコンピュータサイエンスの大学院を受けていたかもなーという感じ。

 

現職について

ここまで書いて、現職を辞めるわけでもないのによくもまあいけしゃあしゃあとこんなエントリを書けるなと呆れる向きもあるかも知れない。これには少しフォローを入れたい。

 

まず、僕は現職を非常に気に入っているし採ってもらったことを深く感謝している。優れたボスと同僚に恵まれ、プロジェクトはいつも創造意欲を掻き立てられるし、みんなメリハリをつけて働いていて余程のことがない限り残業もない。待遇も日本にいる限りにおいては申し分ない。

 

それとは別で「会社と従業員は対等だ」という僕のキャリア感がある。

僕は僕にしかなしえない技術力を提供し、会社はそれの対価として報酬を払う。僕は常にプライドを持って問題を解決し、素早くアプリをつくり、会社に貢献してきたつもりだ。そしてその度合というのは「勤続年数」で測られるものではないと思っている。

 

会社が僕に居て欲しいと思い、僕が会社に居たいと思う。両者の利害が一致して契約が持続される。これがシンプルで良いのではないか。

祖父の死でカッとなって色々足掻いてみたが、結局僕は現職に残ることを選んだ。そして会社はまだ僕に力を貸して欲しいと言ってくれる。もう少しお世話になります。

*1:金銭に余裕があるならアメリカの大学(院)を出るとインターンシップ等で利用できる就労ビザが取得できるようだ

*2:NDAにサインしたので詳しい内容は書けないが、ソートのアルゴリズムを直接実装せよというようなものはなかった。ただ、O(n log n)の代表的な探索アルゴリズムついて基本的なアイディアを問われたことはある。

*3:Arrayとキーのハッシュ値を用いた基本的なアイディアや、コリジョンの解決方法の複数のアプローチ等

*4:これ、僕はど素人なので微妙に間違ってたりするかも知れないし、詳しくは自分で調べるか弁護士に相談して欲しい。

*5:応募総数と当選者から割り出した当選率はたしか公式サイトに公開されていて、それによると0.8%ぐらいだが、実際には当たったひと全員が永住権を申請するわけではないのでもう少し多めに当選を出しているとの噂