子供が急に海外で暮らすということ

やっぱり、インターネットは成功者の話ばかりではなくて厳しい現実の話もあった方がいいと思うので、我が家のことをもう少し書きます。

我が家は僕の海外赴任に家族全員がついてくる形でカリフォルニアに来ています。長女は渡米時4歳、次女は10ヶ月でした。僕がアメリカに来たかった気持ちを100とすると、妻は19、長女は2ぐらいです。パパは来たくて来てるのでつらいことはありません。妻は大変苦しみましたが、素晴らしい友人に恵まれてどうにか折り合いをつけてくれました。次女は元々バブーなのでまだ自我はない。問題は長女です。

長女は日本語の習得が早く、2歳ぐらいで流暢にしゃべりはじめ渡米時にはほとんど大人顔負けの語彙でした。これは大変喜ばしかったのですが、換言すればこの時点で日本語で確たる自我を確立したのだと思います。このせいかどうか分かりませんが、この年齢にしては意外なほどに新しい環境や言葉の違いに対する拒否反応が大きく、順応は困難を極めました。

娘はたまたまTK*1に該当したので渡米後ほどなくして現地校に入れました。これは賛否あると思うんですが、日本人がいっぱいいると却ってその子たちとつるんでしまって言葉を覚えないかもしれないなと思って割と躊躇なくそうしました。ところが娘の場合はこれは完全に失敗でした。娘は誰とも話せない孤独からずっとふさぎ込むようになりました。夜は毎日しくしく泣きました。これは一時的なものだろう、誰でも最初はこうだと思いましたし、実際に同級生の保護者にもそう慰められました。ところが娘は3ヶ月経っても半年たっても良くなることはありませんでした。今なお、土曜の夜からもう月曜日のことを考えて泣くのです。日曜日にすらなっていないのに。時々パニックになってどうしようもない時もあります。

親の都合で自分の意志とは関係なく人生を歪められるというのは親として慚愧に堪えません。娘はまだ耐え難い状況にNO!を突きつけ独りで飛び出す力を持たないのです。こんな残酷なことはない。

あるいは、ある日突然に峠を超えるのかもしれない。その分水嶺を越えたらあれだけ苦しんだ日々は過去のものとなり、この美しく自由な大地を受け入れるのかもしれない。でも"こちら側"にいる我々にはそれがいつなのか分からない。それは永遠に続くかもわからないのだ。

大丈夫!僕は、我が家は大丈夫だった!その言葉に悪意はないのはよくわかっている。だけどその度に、あなたはうちの娘が僕に泣きながら取りすがってどれだけ学校が孤独で苦痛に満ちている場所か訴えてくる姿を知らないだろうと肩が震えるのをどうすることもできない。誰の言葉もわからない、誰にも頼れない。言葉がわからないから休み時間は独りでフラフラ歩いて過ごしてるんだよ〜と言われたときの胸がつぶれる音が聞こえるんですかと。自分が無実の娘を罰しており、そのことで僕が罰されているような行き場のない絶望感です。

このエントリは誰かを呪うために書いたわけではなく、海外に出るというのはやはりそれ相応の覚悟と代償を伴うものだということを書き残しておきたかった。やはりうまくいくばかりではない。我が家は、本当に素敵な友人に恵まれ、会社の上司の心遣いに恵まれ、なんとかこれ以上の悪化がないように努めています。TKは所詮義務教育ではないので、心を病むぐらいならば日本語学校なりホームチューターなりを選ぼうと思います。

このエントリを読んで、やっぱり日本人が多い街に住んだほうがいいだとか、最初は日本語学校に入れようとか、そのいずれが言いたいわけでもないです。だってこれは100%人によるのだから。だからこそ、それは事前にシミュレーションゲームのように完全に対策可能なものでもなければ後から簡単に修正可能なものではない、現実はかくも度し難いものなのだということだということぐらいが教訓だと思います。

胸くそ悪いものを読ませてすみませんでした。僕はこの世で一番美しい娘を抱きしめて眠ります。

*1:保育園の年中に相当する年次だが小学校に通えるプログラム。Pre-Kとも。