天津飯の思い出

と言っても別にチャオズアンソロジーとかではない。

今日はお昼に妻子に天津飯を作ってやった。好評だった。
それはそうだろう。天津飯は僕の得意料理だ。どのくらいの油の量とフライパンの熱で卵に火を入れるとフワッフワの芙蓉蛋の花が咲くか、体が知り尽くしている。

天津飯は京都時代によく作ったものだった。よく作ったどころではない、月末の主食だったと言って過言ではない。
僕は大学生から27歳までのおよそ10年間を京都で過ごした。大学を中退して小さなスタートアップに入社してからはずっと年収300万円で暮らさねばならなかった。若かりし頃というには長すぎる年月だ。

食材は吉祥院業務スーパーで買い込んで自炊をしていたが、それでも月末になると鶏卵の大パックを買うのがやっとだった。
オムレツ、肉なし親子丼など卵料理ばかり得意になった。なかでも、炊きたての米とガラスープと卵があれば180秒で作れる天津飯は僕のお気に入りだった。

ガラスープと醤油と片栗粉を合わせてあんを作っておく。油はフライパンに大さじ2〜3とこれでもかと入れ、白い煙が立つほどチンチンに温める。
卵をさっくりと溶いて一気に流し込む。ほんの6秒。フライパンをするするすると揺すってご飯に載せる。あんをたっぷりかける。これだけ。

あれから年月が経ち、今日の天津飯には海老とキノコまで入っている。
娘が「パパおいしいね!パパはお料理上手だね☺️」と褒めてくれた。決してポジティブ一辺倒ではない自分の天津飯に対する思い出も、今日そう言ってもらえてよい思い出に昇華できたように思う。