レッテル貼りを嫌っていた自分がレッテル貼りモンスターになっていた話
ここのところずっと考えていたことが自分の中でまとまってきたので言語化する。
僕の非常によくない傾向として、自虐的・自罰的な物言いをするという点がある。たとえば、
- CS学位がないので何をやってもダメ
- 算数がわからないので競プロやる資格なし
- 英語サッパリできない、TOEIC900点は現地校の幼稚園なみ
というようなやつだ。これは正直に言って、自分の中では経験に基づく事実のようなもので、いずれも「だから何とかしなくては!」という部分が自分に対してかかっているのだが、言い方が稚拙すぎて、同一属性の全人類に対して銃口を向けていることに気付いていなかった。
「僕は文系なので…」みたいな自虐もそうだ。そもそも自分がこういうレッテル貼りに対して人一倍憤慨していたはずなのに。
みんなっ!高校数学を諦めた人という意味で文系という言葉を使うのをやめてくれー!傷つくんや!こんなん俺でも2分で暗算できるぞ… pic.twitter.com/kZIIHXxxN5
— 父🌖 (@fushiroyama) 2019年9月14日
この画像が一時期Twitterで流行っていて「文系はこんなのも解けないのか」みたいなdisりをみるたびに、微分の導関数ぐらい導けるわいふざけんなよという思いがあった。"文系"を無学のエイリアスとして使うんじゃないよと。これは、ともすれば"文系"を自分に対する言い訳として使っていた軟弱な態度と完全に矛盾する。それに、理転して情報科学の大学院に進学した今では、この言葉は自虐としてすら機能していない。自分が最も嫌い、軽蔑していたレッテル貼りを自ら進んで行うモンスターになっていたということだ。いまは自分を恥じている。
US駐在したときもそうだった。日本では謎のコンサルが「シリコンバレーのエンジニアは年収2000万!」みたいな物価も何も考えてねえだろみたいなことを言うのを見て疲弊し、たまに現地就職の日本人にまで「駐在組はクビにもならないし家賃補助もあっていいですよね」と謎の憎しみを向けられたりしたものだ。どれも実態を伴わないレッテル貼りによるものだ。全部自分が嫌っていたやつだ。現代のイソップ童話の登場人物に自分がなってしまっていた。
僕個人としては次の点に気を付けたい。
- 自分の属するカテゴリについて言及しない。常に主語は自分とする。
- 自虐を控える。
- 何かを貶めない。批判は建設的対案とともにする。
自分の娘に見られて恥ずかしくないことだけインターネットに書こうと思います。それではポケモン捕まえてきます。