肉体と精神の不可分性

一週間ほど出張で非常に寒い地域にいて、不運にもインフルエンザに罹患してしまい寝込んでいた。ようやく帰国できたが、身体的にも精神的にも参ってしまった。

 

元々体力には自信があって、この10年ぐらいインフルはおろか風邪で休むことすら稀だったし、昨年9月で酒もやめたので「二日酔いで翌日を棒に振る」みたいな現象もまったくなくなって、健康とは完全にコントローラブルなものになっていたはずだった。

 

ところがいざ39℃の熱で数日間夢うつつの生活を送ると、健康というのがどれほど得難いものであったかという当たり前の事実を思い知らされた。とりわけ、肉体的健康とは完全に独立して存在していると思っていた精神的健康というものが、肉体的な衰弱によりあっさりと共倒れになったのは大きなショックだった。知力は体力に依存しているのだ。考えもしなかった。

 

久しぶりに出社して懸垂機にぶら下がってみると、果たして体が持ち上がらない。あれだけ毎日取り組んでいたことが、砂上の楼閣ように一夜にして失われてしまった。また、毎朝3時に起きてコツコツつづけていたアルゴリズムクイズと数学も、いまは何をやっていたのか思い出せないほどだ。特に極度に頭を使う作業が先々週ぐらいから絶不調で、一体どうなってしまったのか自分でも呆然としていたのだが、思えば病気の兆候だったのだろう。体力的にはようやく回復したが、まだ頭の中は蜘蛛の巣がかかったように茫漠としている。いまも言葉がうまく出てこない。

 

これまで、自分に対する投資はもっともROIが高いという信念をもって絶えず勉強し続けてきた。結果的に、努力はすべてを叶えないが、自分がなりたいソフトウェア技術者ぐらいはかならず努力でたどり着けるという確信を持つに至った。ところが、このような前提は肉体的な健康というものに大きく依存していることに図らずも気付かされた。これから30代後半を過ごし、40代に突入するにあたって、この基盤はますます脅かされる可能性が高い。これまでのように、ただ盲目的に自分のやれることをやってさえいればどこかにたどり着けるという確信がすこし揺らいでしまった。自分がいまの状況にあるのは、単に幸運だったのだ。慎まねばならない。

 

また近い将来、怨念にも似た執念の火が自分の中で燃え始め、再び元の自分に戻れる日がくると信じているが、それまではほんの少しだけ無茶な早起きをやめてしばらく自分の健康と向き合いたいと思う。命あっての物種。人生は長く短い。このバランスが最も難しい。それでは、近いうちにまた。