働きながら修士課程1年目を終えて

本エントリは社会人学生 Advent Calendar 2020の19日目です。ただ今月の後半は個人的事情で非常に忙しいことが予想されるので、本日書いてしまってまだ筆の熱が残っている内に公開してしまおうと思います。

改めて自己紹介をさせてください。37歳の職業ソフトウェア技術者です。現在フルタイムで働きながら、北陸先端科学技術大学院大学(通称JAIST)の博士前期課程で情報科学を専攻しています。実は本アドベントカレンダーは去年も参加しました。そちらには進学の動機や入学したばかりの初々しい気持ちが表明されているような気がします。

fushiroyama.hatenablog.com

さて、本エントリで何を書こうか少し悩みました。考えた結果、前半で「1年目を終えた率直な感想」を、後半で「JAISTで社会人大学院生をやること」について書こうと思います。特に後半には、この1年でのべ100人ぐらいに聞かれたFAQについてまとめておこうと思うので、興味がある方はそちらだけお読みいただいてもよいと思います。ぶっちゃけJAISTどうなん?という部分も個人的感想を述べておきます。

修士課程1年目を終えて

いや〜〜〜〜、大変でした。想像以上でした。

現在のステータスは、あと修士論文を提出すれば修士号が取れるところまで来ています。JAISTはざっくり言うと

  • 授業で必要な単位を取る(20-26単位)
  • 副テーマ研究を終える
  • 主テーマ研究(修士論文 or 課題研究)を終える

と博士前期課程を修了(修士号)することができます。

このうち単位を取り終えて副テーマ研究も完了してすでに成績が付きました。やはり一番大変なのが単位を集めることでした。

JAIST東京サテライトの情報科学の授業は原則として土日にしか開講しません。修了単位を20-26単位集めるには4半期ごとに3-4教科ずつ履修する必要があります(JAISTは4学期制)。 石川本校の学生が平日をフルに使って受けるのと同じ授業を土日だけで賄うので、1日で1コマ100分を2コマ連続で合計7-8週(全15回)受けることになります。これに中間・期末試験です。100分2コマは端的に言うと、土日どちらかを半日差し出すことを意味するので、もしこれを1学期に3教科履修すると、土日の3/4が授業だけで取られることがご理解いただけると思います。

しかも理系科目が1日に一気に2コマ進むので、予習復習が想像を絶するほど大変でした。それに加えて課題も重い。毎週5-6時間は常に何かの宿題を夜中にゲボ吐きながらやっていた気がします。それでいて、基本的に成績は中間・期末試験の一発勝負で決まる。情報科学では出席点やレポートなどの救済措置がある科目のほうが例外的でした。3ヶ月これだけ苦しい思いをして授業を受けたのに、この試験で失敗したら水の泡かと思うと、テストの前は手が震えるような思いをしたのを覚えています。実際、2教科も力及ばず落としました。いや〜厳しかった。

同級生には理系の学部・院を卒業した人もたくさんいるので彼らに聞いた感じだと、JAISTの授業の難易度そのものは押しなべて一般的な国立大学理系院とそれほど差がないようです。なのでこれを読まれた方が必要以上に恐れる必要は無いと思いますが、甘いものではまったくないのは伝わるのではないかと思います。

まあこの地獄の日々もなんとか終わり、修了単位はすべて揃えることができました。内容はかなり満足しています(この辺は後半にちょっと書こうと思います)。

やはり家族には随分迷惑をかけました。履修は細心の注意を払って「基本的に土日のどちらかは丸一日空くようにする」ことを心がけました。これは子供との時間を作ることが最大の目的です。 しかしながらこれも正直に言ってそんなに甘いものではありませんでした。授業は、カリキュラムや先生の都合など複数の要因によって毎週一定の時間には行われるとは限りません。同じ授業でもある週は土曜日の午前だったり、また別の週は日曜の午後だったりします。これは避けようのないことではあるのですが、家族には予定の読めなさで随分ストレスをかけました(時間割はもちろん事前に分かっているのですが、家族はそんなの知ったことではないですよね)。JAISTで社会人大学院に進学しようと考えておられる方で家庭を持っておられる方はこの点をゆめゆめご認識いただければと思います。

授業を取る合間に、副テーマ研究も終えました。JAISTは研究に幅広い視野を与える目的で、すべての学生に主テーマ研究の他に副テーマ研究を課しています。主テーマ研究とは必ずしも関連している必要はなく、学生がそれぞれ自由に先生にアポを取って承諾をもらい、1-3ヶ月程度で完了できる研究をやります。僕は自然言語処理の先生に師事して、日本語コーパスの極性判定における言語ドメインの違いが及ぼす影響について研究しました。自分の能力の幅が広がって非常によい経験でした。

残すは修士論文だけです。正直、残りたった1年で修士研究を出来るのか?という不安はかなり大きいです。しかしJAIST大学院大学で学部を持たないため、幅広いバックグラウンドの学生を均一に鍛え上げるためにM1は比較的がっつりコースワークを頑張って2年目に研究を、というスタンスのようです。僕の主テーマ研究は、アドホックネットワークにおけるゴシップアルゴリズムを使った効率的情報伝達と、それを応用した行動支援というものになる予定です。年明けぐらいまでは周辺分野の論文を読みまくって研究の新規性や筋を見極め、春から夏にかけて実験、夏に2-3ヶ月かけて論文を仕上げて2021年秋の修了を目指します。

また来年の社会人学生 Advent Calendarでお会いできるのを楽しみにしています!

JAISTで社会人大学院生をやること

いや〜〜〜お疲れさまでした!ここからが本番ですね!

ちょっと話は変わるんですが僕はそくめん君というプラットフォームを使って僕と話してみたいと言ってくださる方々と時々1:1をしています。

sokumenkun.com

で、ここで一番聞かれるのがやはり社会人大学院のことなんですけど、共通して聞かれる項目があるので、せっかくなのでここでFAQ形式でまとめようと思います。JAISTの受験を考えておられる方には参考になるかもしれません。

Q. コンピュータ・サイエンスを体系的に学びたいと考えているがJAISTに進学することはどうか?

A. 正直悪くない選択です!ただ、大学は職業訓練校ではないです!

これ、大変もっともな質問だと思いますし気持ちとても分かります。前半でもちょっと書いたのですが、JAIST大学院大学で学部を持っていません。日本のその他の大学院はJAISTに比べてもっと研究色が強いと聞いております。これは、学部でがっつり勉強していることは担保できるので大学院では研究を…ということと理解しております。JAISTは学部がないので非常に多種多様な学生が集まります。なので、みんな一様に修士一年目はしっかり勉強せえよとばかりに勉強することになります。必要な単位は必修の他に自由選択で、修論を書く学生は20単位、課題研究の学生は26単位取る必要があります。これって大学院としては結構多いですよね。

しかし、とはいえたかが26単位です!2単位教科で13科目です。たった13科目。これでコンピュータ・サイエンスのすべてが味わえるはずもない。ごく限られた分野のほんの一端を垣間見るのが関の山でしょう。もし"コンピュータ・サイエンスを体系的に学びたい"のならば、それこそ学部をやり直すのにまさる勉強はないのではないでしょうか?僕は電気通信大学の情報理工学部の夜間などはかなり注目しています。

なお、JAISTの授業は本当に素晴らしいです。僕は履修したすべての授業が(結局落としたものも含め)本当にタメになりました。大学の勉強は、例えばRuby on Railsの使い方を覚えてウェブアプリを作りましょう!というものではまったくありません。大学は職業訓練校ではないのです。学んだことが即何かに使えるかというと、必ずしもそういうものではないと思います。ただし、まったく使わないかというとそれは全然そんなことはありません。大学で体系的に学んだ知識は必ず自分の血肉となって、まだ見ぬ課題に立ち向かう際に「もしかしてアレとアレを組み合わせると対処できるのではないか?」というような場面で力を発揮すると思います。なので、JAISTで学ばれることを全く否定するものではありません。

Q. 文系出身なのだがJAISTの授業についていけるか?

A. 授業と人によります!しかしそれなりの覚悟が必要です!

これも非常によく受ける質問です。これは本当にその人次第だし授業にもよるので一言で回答するのが難しいです。ただ、情報科学の分野で数学をまったく使わないものはほとんど皆無と言ってもよいと思います。自分が受けた中では次の例みたいな感覚だったので参考にしてみてください。

  • 情報理論や信号処理、解析系の授業…学部程度の数学力(高校数学では到底足りない)がないと授業で何が起こっているのかも理解できないし単位を取るのも無理です。
  • 形式手法、ソフトウェア設計、関数プログラミングなど…離散数学の基礎の上に成り立っている分野が多いが、職業ソフトウェアエンジニアは頑張ればついていける可能性がある。ただし、業務で行うプログラミングと情報科学の授業のプログラミングで扱われれる内容はかなり毛色が違うので手も足も出ない人もいるかもしれません。
  • ネットワーク、オペレーティングシステムなど…四則演算以上の数学を使うことはあまり多くないが、当然この分野特有の難しさがある。頑張れば何とかなるかもしれない。

自分が受けた情報科学の教科の中で「あ、これは楽勝」みたいな科目はただの一つもありませんでした。文系・理系に関わらず、覚悟を持って臨む必要があります。覚悟さえあれば…夜中に歯を食いしばって講義動画を見直して毎週毎週苦しい課題を出し続ける覚悟があれば、きっと大丈夫ですよ!

Q. JAISTの入試の小論文どんな感じで用意した?何をすれば受かる?

A. 考えているテーマで3本ほど論文を読み、その上で指導教員(予定)にアポを取ってアドバイスもらってはどうでしょう。

JAISTに入学したいけどどうやったら受かりますか?というのもよく受ける質問です。これも僕が入試を担当しているわけではないのでまったくわかりませんが、少なくともどういったフォーマットで行われているかは認識しています。JAISTの入試では小論文を提出して、面接ではそれに対するプレゼンを行う必要があります。これは、言うなれば修士研究をきちんとできる素地があるかどうか見られているのだと僕は理解しています。入試の時点で修士論文のように新規性や厳密なファクトチェックは求められません。その代わり、論理的思考やプレゼンの内容の事実確認のアプローチは見られていると思います。

自分が何かやりたいテーマがあったとして、Google Scholarなどで調べると論文は山程出てくるでしょう。図書館などではこれをダウンロードできると思うので、とりあえずそれを読んでみてください。すると参考文献に更に大事な関連情報が見つかるので、それを読んでいく。最低でも3つぐらい読めば、先生に「…それ事前に調べました?」とか呆れられることはかなり少なくなると思います。あとは自分のやりたい内容に関して

  • 現状の問題は何なのか
  • 自分の提示する手法は何を解決するのか
  • どのように仮説を立て、それを検証するのか
  • 結果はどのようになり、それは何を意味するのか
  • この研究でカバーできないこと、この先の展望

など書いていくともう論文の体裁になると思います。あとは人事を尽くして天命を待ちましょう!

で、JAISTは定期的に大学説明会をやっているので、そこで席主のおじさん(エライ先生だよ)に「こういうことやりたいんですけど」と伝えると、必ず「○○先生にコンタクト取ってみたらどうですか?」と教えてくれます。その先生とオンライン面談でもして読んだ論文の内容を伝えると次のステップを教えてくれると思います。Good luck!

ぶっちゃけJAISTどうですか

さて、本エントリ最後の内容です。ここではJAISTに関して思っていることを率直に書こうと思います。

まず、JAIST社会人の良いところ。これは沢山ありますけど、一番素晴らしいと思うのがやはり優れた同級生です。一緒に勉強している仲間には日本を代表する会社の研究職の方や、上場企業のCTO、医師や弁護士などの専門職者、他大学の教授までいます。こんな優れた人たちと、高いモチベーションで勉強できる場所はちょっと他にあまり思いつかないです。みんな仕事や家庭のある中なんとか時間を作って勉強や研究をしています。これまでさんざん書いてきたように、働きながら勉強するのは本当にキツイです。でもJAIST社会人のSlackでみんなで苦しみを吐き出しながら、提出した課題を褒め合いながら、なんとか励まし合ってみんな前に進んでいます。素晴らしい場所です。

次に、長期履修制度は非常によいです。JAISTは長期履修制度というのがあって、修士課程の学生は2年分の学費で3年間、博士課程は3年分の学費で4年間勉強できます。実質1年無料で延長できるんですね。国立大学なので1年の学費は53万円。これが長期履修制度を組み合わせると30万円台まで下がります。年間ですよ年間!JAISTのようなレベルの高い研究大学でこの学費で学べるというのは驚異的なことです。実質無料ですね。

今度は微妙な点。JAIST社会人は、COVIDの今でこそ完全オンラインですけど、本来は品川キャンパスに先生方が直接きて授業をしてくださいます。JAISTはあくまで石川が本校なので、品川で履修できる科目は決して多くはありません。情報科学の場合、4半期ごとに履修できる科目はわずかに4教科程です。年間で16-20教科ほど。これはお世辞にも多いとは言えませんよね。もちろん、その内容はかなり厳選されたもので、どれを選んでも損をさせない素晴らしい授業ばかりですが、それでも本校と同等の教育を受けるのは中々難しいです。COVIDが大きな転機となって、本校の授業をもっと気軽にオンラインで取れるようになったら、あるいはもっともっと素晴らしい大学院になるかもしれません。

最後に、JAIST社会人のちょっと面白い所を紹介して終わりにしたいと思います。現在のJAISTでは「情報科学」というのは学部ではありません。専攻は「先端科学技術研究科 先端科学技術専攻」の1本があるのみです。その下に知識科学系、情報科学系などの「学系」が並んでいます。これが何を意味するか?学生はある程度自由に学系を行き来して授業を取ることができます。 もちろん、違う学系の授業を取れると言ってもまったく自分の専攻と関係ないものは単位認定されません。シラバスを眺めながら、自分が修了したい学位と教科の表を見て単位として認められるものを選んでいくのが基本的な履修方法になります。面白いのが、情報科学で学位を取る場合でも単位認定される他学系の授業はちょこちょこあるという点です。

極論してしまえば、自分の学系と違う授業ばかりかき集めても「情報科学」として学位を取ることは可能なのです。自分が他学系の授業を受けた感じ、率直に言って情報系の授業で単位を取るより50倍は楽だなと感じたものすらあります。しかしそれは全て本人の選択なのです。自分が大学院で何を得たいのか?勉強して学力を身に着けたいのか。それとも研究がしたいからさっさと単位を取ってしまうのか。すべて自由です。大学は常にそこにあり、同じ内容を提供している。それを得て自分が何に活かすのか?それはすべて学生の自主性に委ねられています。この自由がJAIST社会人の非常によい点だと思いました。

いま、日本でもリカレント教育という言葉が聞かれるようになってきました。若い学生の減少とは裏腹に、社会人大学院はこれからどんどん盛り上がっていくのではないかと個人的に考えています。JAISTはその旗手としてこれからも勉強したい社会人に門戸を開き続けていくことを強く期待しています。これを読んでJAISTに興味を持ってくださった方、一緒に勉強しましょう!それでは。